MaKa Diary Of Boedom
表現するが、
1892年8月4日は、まさにその表現がぴったりと合う、
うだるような酷暑の日だった。
現にその年の最高気温を記録した日であった。
そして、後に「伝説の事件」と呼ばれるほどの殺人事件が
この日発生する事になる。
マサチューセッツ州フォールリバー。
当時、州でも3番目の大きさを持っていた
この町にボーデン家の邸宅があった。
ボーデン家の主アンドリュー・ボーデンは
親の代から続く葬儀社の事業を拡大させ、
銀行業など様々な事業も行う、フォールリバーでも
有数の事業家だった。
後妻のアビーと前妻との間の子供達、
長女のエマ� �次女リジーの一家4人で暮らしていた。
8月4日、朝7時、すでに気温は30度に近かった。
ボーデン夫妻と前妻の兄ジョン・モースの3人は
朝食を共にしていたが、ボーデン夫妻は
吐き気と腹痛に襲われており元気のない様子だった。
メイドのブリジェット・サリバンは家の窓ふきを命じられていたが、
彼女も体調を崩していて、
思うままに作業を続けられない状況にあった。
長女のエマは泊まりがけで外出しており、
その日は家にいなかった。
次女のリジーは自室でまだ寝ていた。
午前8時45分ごろ、ジョン・モースが外出する。
その少し後、リジーが2階の自分の部屋から降りてきた。
朝食を食べようとしたが体調が悪く、果物を少しだけ食べた。
午前9時15分ごろ、
アンドリューが家 を出て仕事場である銀行へと向かい、
午前10時45分ごろに帰宅した。
リジーは父を出迎え、
アビーが知り合いのお見舞いに出かけたことを伝えた。
体調が優れないアンドリューは居間のソファーで横になった。
リジーは週末に行く釣りの用意のため納屋に向かった。
ひどい蒸し暑さと一家の者が体調を崩している以外は、
変わらない一日であった。
しかし、その日常はリジーの叫び声によって、
破られることになる。
「ブリジェット!
早く降りてきて!
お父さんが倒れているわ!
誰かがお父さんを殴ったのよ!」
その声に駆けつけた
ブリジェットは居間で恐ろしい光景を目にした。
そこにあったのは頭部を斧のようなもので
激しく何度も叩� �割られ、目が飛び出し、
顔の判別ができない程に
変わり果てたアンドリューの悲惨な姿だった。
ブリジェットは家を飛び出し、
近所に恐ろしい事件が起きた事を伝えた。
すぐに医師や付近の住人が駆けつけた。
医師はアンドリューが絶命している事を確認した。
隣家の婦人にアビーはどうしたのかと聞かれ、
リジーは
「帰ってきたと思うけど、きっと彼女も殺されているわ」と
答えた。
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その婦人が上階の部屋をのぞくと、
そこにはもっと恐ろしい光景があった。
アビーはうつ伏せの状態で倒れており、
アンドリューよりもさらに激しく
斧で頭部を叩き割られていた。
警察が駆けつけ、調査がすぐに開始された。
その結果、アビーは午前9時過ぎに、
アンドリューは午前11時過ぎに殺されていることが推定された。
そしてアビーは斧で19回、
アンドリューは11回斧で叩き切られていた事が判明した。
事件のショッキングな内容からフォールリバーの町だけでなく、
当時すでに開発されていた電信によって
一挙に全米中に広まる事となった。
当初、外部の者による犯行が考えられた 。
しかし、それにしては不可解な点があった。
忍び込んだ人間が、2人もいる家の中で、
1人を斧で激しく何度も叩き切って殺した後、
2時間もの間どこかに潜み、
再び誰にも気づかれずにもう一人の人間を
同じように殺害したとは考えにくかったのだ。
事件の状況から、
外部の者の犯行である可能性は除外された。
犯行が行える可能性があったのは
一家の関係者だけだった。
容疑者は
ブリジェット・サリバン、
ジョン・モース、
リジー・ボーデンの3人に絞られた。
彼等が語った事件発生時の状況は以下の通りだった。
1 .ブリジェット・サリバン
アビーが殺害された9時頃は家の窓ふきを行っていたと語った。
しかし、その時間にブリジェットが窓ふきをしていた所を
見た人間はいなかった。
アンドリューが殺害された11時頃は、
体調の悪さとあまりの暑さから
自室で横になっていたという。
2.ジョン・モース
ジョン・モースはアンドリューの前妻サラの姉弟であったが、
ジョンとアンドリューは仲が良く、
サラが病気によって亡くなった後も交友は続いていた。
ジョンはアンドリューが所有する農場の管理を任されており、
事件の前日からボーデン家に泊まっていた。
ジョンは2件の殺人事件が起きた時には外にいたという。
事件が発覚した直後に、
庭を通ってボーデン家に戻ってきたが、
家の中は 事件で大騒ぎとなっていたのに、
のんきに庭で果物を拾うなどの
どこかおかしな行動が目撃されていた。
3.リジー・ボーデン
アビーが殺害された時間はまだ寝ていたと証言した。
アンドリューが殺害された時は
納屋の2階で釣りに使う重り用の鉄片を探していたという。
そして、11時過ぎに家に戻った時に
アンドリューの遺体を発見している。
まず疑われたのはジョン・モースだった。
犯行の状況からとても女性による
犯行とは考えられなかったからだ。
そして家に戻った時の、妙に落ち着いた態度も怪しまれた。
しかし、彼には外にいた
時の強固なアリバイがあった事が判明する。
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ブリジェット・サリバンにはアリバイは無かった。
しかし、彼女には2人を
殺害するだけの動機は見あたらなかった。
一番怪しい人物は次女のリジー・ボーデンだった。
2人同様、リジーにもアリバイは無かった。
さらに、彼女には疑われるべき、
いくつかの理由があった。
彼女は事件の前日、3件の薬局を回り、
服に付いた虫の駆除のためという理由で
青酸を購入しようとし、
どの店でも断られていた。
そして、同じく事件の前日に友人の
アリス・ラッセルに
「うちの食事には何か毒が盛られているかもしれない」と
語っていた。
さらに、アリスはボーデン家で起きた盗難事件について
リジーが話した事も証言している。
アンドリューの机から現金が盗まれる事件が起きていたが、
リジーは「地下室から侵入したのではないか」と
話していたという。
そして、最後に予言めいたこんな発言を残していた。
「きっと誰かが何かをやりそうな気がするのよ…」
また、彼女には動機もあるものと思われた。
彼女と継母であるアビーは仲がわるく、
家の相続の問題でアビーと姉妹の間に諍いがあったと
する話が、ボーデン家の親族の者から得られたのだ。
8月11日、リジーは逮捕された。
全米中がこの事件の話題でもちきりとなった。
全米中が一つの事件で
ここまで熱狂的になった例は過去に無かった。
世論はリジーの逮捕を妥当とする者と、
リジーは犯人ではないとする� ��の間で二つに分かれた。
しかし、リジーの事を知る人々の間では
逮捕は不当だとする意見が大半を占めた。
彼らにはとてもリジーによる
犯行であるとは信じられなかったのだ。
リジーは当時32歳。
結婚はしておらず、教会の活動や恵まれない子供達に対する
慈善活動に精を出す日々を送っていた。
善意に溢れた品行方正なおとなしい女性、
それが町の人々が持つリジーのイメージだった。
今まで悪い噂などは何一つとして流れたことは無かった。
それに、リジーは父親のことを
深く敬愛していたことが知られていた。
とてもあのような無惨な犯行が行える人物とは
思えなかったのだ。
地元の新聞もこの意見に同調した。
怪しい状況はあるものの、
犯行を決定づける証拠� ��何もないのに、
なぜ、彼女が逮捕されたのかと警察を非難した。
新聞は彼女の事を無実なのに
罪を着せられた哀れな被害者として扱った。
実際に警察は確たる物的証拠を
つかんでいる訳では無かった。
特にあれほど凄惨な事件であれば、
犯人は必ず返り血を浴びているはずである。
しかし、返り血を浴びた服などは発見されていなかった。
また、犯行の凶器とされた斧も同様だった。
確かに家の地下室から、灰にまみれた柄のない斧が
発見されていたが、
あれほどの事件であれば必ず付着しているはずの
血痕は発見されなかった。
ザナックスとうつ病
1893年6月5日。
全米中のマスコミが注目する中、裁判が始まった。
検察側には最高裁の判事を勤めた経験を持つ
ムーディ検事が選ばれ、
弁護側には州の司法長官を務めた
経歴を持つロビンソン弁護士が選ばれていた。
双方共に、考えられる中でも
最高の人選で裁判に望む形となった。
検察側はリジーとアビーの間で家の相続にまつわる争いが
あったことを挙げ、
犯行を行うだけの動機があったことを主張した。
さらに、この騒動があったあと、
リジーは継母のアビーのことを「お母さん」とは呼ばなくなり、
「ミス・ボーデン」と呼ぶようになったことを付け加え、
2人の間の確執が相当なものであったことを印象づけ� �。
そして、リジーが事件後に服を燃やしていたことを明らかにした。
事件の3日後に
リジーの友人アリス・ラッセルが家で
服を燃しているリジーの姿を見ていたのだ。
アリスに「なぜこんな事をしたのか」と聞かれ、
リジーは「ペンキが付いてしまったから処分した」と
答えたのだという。
問題の凶器については、凶器は地下にあったものが
正にその凶器で事件後
すぐに血痕が付いた歯の部分を洗い、灰をまぶした。
そして柄は万力のようなもので
しつぶして処分したのだと主張した。
これらの主張に対して、
リジーを弁護するロビンソン弁護士はリジーの無罪を主張し、
反証を行った。
まず、動機については、
確かに一時期はリジーとアビーの間には
家を巡る相続� ��ついて諍いがあったものの、
アンドリューが姉妹それぞれに金銭を与えることで決着しており、
その後リジーとアビーの仲は
落ち着いていたとする見解を証人の意見を交えて主張した。
そして、リジーが服を燃やした点については、
アリスからリジーが燃やした
服には血が付いて居なかったとする証言を引き出した。
リジーが服を燃やしていた日は警護のため、
まだ警察官が家のなかにいる状況でもあった。
仮にリジーが犯人だとしたら、
そのような状況の中で証拠を隠滅するような
危険は犯すはずはないとした。
さらに、事件直後に250人にも及ぶ警察官によって、
しらみつぶしに邸宅内の捜索が行われたが、
その時に血の付いた服は出てこなかったではないかと主張した。
地 下にあった灰の付いた斧については、
検察の主張に対して、
事件のあとにそんな時間のかかる
作業をしている余裕はなかったはずだとした。
最後にロビンソン弁護士はリジーを指さしながら、
陪審員達にこう訴えかけた。
「みなさんには、
あの女性がこのような恐ろしい犯行を行う悪魔に見えますか?」
6月20日、ついにリジーに対する判決が出た。
陪審員がリジーに下した評決は無罪だった。
検察が展開した主張はそれを裏付ける物証に乏しく、
どれも状況証拠に過ぎなかった。
それに、リジーが拘留中に同じ地域で斧による
殺人事件が発生していた事も考慮された。
そして、ロビンソン弁護士の反証も効果的だった。
陪審員のだれもがリジーを裁く気になどなれなかったのだ。
リジーに無罪の評決が下った確瞬、
傍聴席からは歓声と拍手が沸き起こった。
すぐにリジーは釈放された。
無罪になり、祝福と共に町に迎えられた
リジーであったが、次第に世論はリジーを疑いだした。
裁判でリジーは無罪となったわけだが、
新聞の紙面などで事件の再検証が行われると、
調べれば調べるほど、
リジー以外の人物が犯人である可能� ��は低いように思われたのだ。
再調査の過程でアンドリュー殺害時の
リジーの状況について、いくつかの疑いが浮上した。
リジーは釣りのおもりを作るため
納屋にいたと警察に証言したが、
それまでリジーが釣りをした話など誰も聞いた事がなかった。
また、納屋の二階でおもり用の鉄片を探していたというが、
納屋の中に鉄片が置かれたことなど
過去に一度もなかった事実が判明した。
さらに、付近で発生していた斧による
殺人事件の犯人が捕まったが、
その犯人にはボーデン家の犯行を行う事は
不可能だった事が明らかになったのだ
(そもそも外部の犯行は当初から否定されていたはずだった)。
リジーの無実を信じていた町の人々も、
徐々にリジーが両親を殺したのでは< br/>ないかとする説に傾いていった。
町の人々は影でリジーの事を
犯罪者として罵るようになった。
事件についてあれこれ噂したのは大人達だけでなく、
子供達も同じだった。
しかも、子供達はもっと開けっぴろげだった。
子供達の間でこんな歌が広まったのだ。
Lizzie Borden took an axe
And gave her mother forty whacks.
And when she saw what she had done.
She gave her father forty-one.
リジー・ボーデン斧を取り
母親40回切り裂いた
自分のしたこと気づいたら
父親41回切り裂いた
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